中国古典から一言。のブログ
2006-02-26T23:52:38+09:00
Mao_ze_dong
中国古典から一言を選びしばしば紹介してます
Excite Blog
愚も愚を守れば愚ならず
http://ooedo.exblog.jp/3260293/
2006-02-26T23:50:37+09:00
2006-02-26T23:52:38+09:00
2006-02-26T23:50:37+09:00
Mao_ze_dong
一言
「愚も愚を守れば愚ならず」
(ぐもぐをまもればぐならず)
意味:
自分の短所を短所と知っていれば短所ではない
美なる者は自ら美とす、吾れ其の美なるを知らざるなり。悪なる者は自ら悪とす、吾れ其の悪なるを知らざるなり。
ってのもあります。自分で自分の長所を長所と思っている人は本当の長所を持っていない。ということです。
自分の長所ってなんだろう?と考えたことがない人は居ないと思いますが、見つけた人は多くないのではないのでしょうか。僕もたまに長所何だろ・・?と思案しますが、はたして分からないものです。
逆に自分の短所って何?と考えるとポンポン出てくるわけで、飽きっぽい。──はい。本当にごめんなさい。一年間空きました。アクセスしてくださった方も、このブログを削除しないでいてくれたexciteの人にも感謝です。たぶん次の更新も遅くなります。。──
ほかにも食べ物の好き嫌いが多かったり、我侭だったり、金銭感覚がおかしかったりと数え切れないですが、こうして自分の短所を分かってるのが、僕の長所?なんて──完全に荘子のいう長所の無いヒトですね・・。
がんばります。では
-荘子]]>
年五十にして四十九の非を知る。
http://ooedo.exblog.jp/1669646/
2005-02-19T03:20:38+09:00
2005-02-19T17:45:42+09:00
2005-02-19T03:19:05+09:00
Mao_ze_dong
一言
意味:50歳で今までの49年がダメだったのを知った。
これはネガティブな考えではなくて、「だからこれからは直していこう」とポジティブな考えなのです。恐ろしいのは今までの過ちに気づかず一生を終えることであり、当時50といえばなかなかの高齢だったのですが死ぬまでに気づいてよかったぜ!という感じです。
論語の中にも(孔子の言ではないのですが)
「行く者は諫むべからず。来る者は猶ほ追うべし。」
とあります、これは(原本からは少し離れますが)過去のことはどうしようもないけどこれからならどうとでもできるさ!という解釈もできます。いい感じですよね。
過去のことを参考に、今の状況を考えて、これからの行動を律してゆくことが大事なのだな。と思いつつ夜更かししてしまいました‥。「午前三時になり二時までの非を知る。」いやん。
では
―淮南子
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「君子は上達し、小人は下達する。」
http://ooedo.exblog.jp/1565019/
2005-01-20T01:38:59+09:00
2005-01-20T17:43:22+09:00
2005-01-20T01:37:29+09:00
Mao_ze_dong
一言
意味:君子は物事を続けると上達するが、小人は下達をする。
皆様お久しぶりです、昔からやる気を保てないのは自覚していたのですがこれほどとは‥。申し訳ないです。ということで新年一回目の更新は自戒の念も込めてこの一言。
君子は物事を続けるとコツやペースをつかんだりし、本質的な能力が上がります。
しかし小人は物事を続けると隙を見つけそこでサボるというのです。
下達を極めてみました。
というわけで久々の更新(生存確認)でした。これからも毎日とは言えませんが細々と更新を続けていきたいと思っておりますので、月に1回程度チェックしていただければ光栄です。ではっ‥
(ブログの名称も近々変える予定です)
‐論語
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算多きは勝ち、算少なきは敗れる。
http://ooedo.exblog.jp/1423391/
2004-12-11T20:36:49+09:00
2004-12-11T20:35:58+09:00
2004-12-11T20:35:58+09:00
Mao_ze_dong
一言
「算多きは勝ち、算少なきは敗れる。」
(さんおおきはかち、さんすくなきはやぶれる)
意味:
勝算が多い方が勝ち、少ないほうが負ける。
あたりまえといえばあたりまえの話なのですが、実際に生活に活かしているかどうかとなると話は違ってきます。
例えばカップヌードル。3分をきちんと計る人と計らない人がいます。計らないでいるのは「勝てない戦はするな!」な孫子に言わせればまったくの愚かということです。でも日本人ってもともと算少なき民族なのかもしれません。戦国時代の戦を見ていても勝てるはずないよなぁ、と言いたくなるような戦を始め、負けたほうは全滅とかです。第二次世界大戦でも玉砕をしたりしています。東条英機には孫子を読んでいて欲しかったです。
しかし人間、いったん火がつくと例え負けると分かっていても、戦わなくてはいけないんだ!となるときは必ずあります。そういう熱い人間は好きなのです。僕もそうありたいと思っています。孫子なんか知るかっ!
では
-孫子]]>
三人行けば、必ずわが師あり。
http://ooedo.exblog.jp/1423334/
2004-12-11T20:16:13+09:00
2004-12-11T20:14:27+09:00
2004-12-11T20:14:27+09:00
Mao_ze_dong
一言
「三人行けば、必ずわが師あり。」
(さんにんゆけば、かならずわがしあり)
意味:
自分を含む三人と共に行動すれば、必ず教わることがある。
一人の良い所を取り入れ、もう一人の悪いところ見て自分を戒める。中国古典の中でも有名な言葉のひとつです。
中学の修学旅行を覚えていますか?電車の中でバカ話をし、仏像を横目に見つつバカ話をし、徹夜で麻雀をするアレです。友人と寝起きを共にすることなども少ないことですから他の家庭の習慣に驚いたりもしました。その中でも最も壮絶だったものは枕を持参していた人でした。
よく考えたら話が全く関係の無い方向に行っています。感覚が戻ってないっ・・・
では
-論語]]>
中国の酒はスゴイ!
http://ooedo.exblog.jp/1408212/
2004-12-07T22:07:51+09:00
2004-12-07T22:06:06+09:00
2004-12-07T22:06:06+09:00
Mao_ze_dong
未分類
後世必ず酒を以って国を亡ぼす者あらん
再掲のみです、ゴメンナサイ。週末には更新します。。
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福は求むるべからず。
http://ooedo.exblog.jp/1383590/
2004-12-01T19:37:41+09:00
2004-12-29T17:13:14+09:00
2004-12-01T19:35:58+09:00
Mao_ze_dong
一言
「福は求むるべからず。」
(さいわいはもとむるべからず)
意味:
幸福は求めてはいけない。
幸福というのは求めて求められるようなものではないそうです。ならばどうするか? 楽にして幸福が来るのに用意していくしかない。のです。「笑う門には福来る。」ですね。
ドストエフスキーは「幸福はそれを求める過程にこそある。」と言いました。
この二つをあわせると、「楽にしてたらそれが幸せ!」ということになるのではないでしょうか?(ならない?)
以上グータラな人間の幸福論でした。申し訳ない。
では
-菜根譚]]>
尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず。
http://ooedo.exblog.jp/1378909/
2004-11-30T17:19:27+09:00
2004-11-30T17:17:44+09:00
2004-11-30T17:17:44+09:00
Mao_ze_dong
一言
「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず。」
(ことごとくしょをしんずればすなわちしょなきにしかず)
意味:
本に書かれている事を全て信じてしまうなら、その人にとって本など無い方が良い。
僕が中国古典に入門したのは中学の頃でした。三国志を読んで項羽と劉邦を読んで、項羽と劉邦に出てきた「六韜」という本が気になって調べているうちにいつの間にか興味は歴史ではなく文学にシフトしていたのです。(今でも歴史は好きですが。)
そしてその後「老荘哲学」にはまりそれ一辺倒だったのですが、あるとき「論語」もいい所があるなぁ、と思えるようになりました。その時、初めて世界は広いなと感じました。
本を読むのは良い事ですが、全て信じてしまうと世界は狭まってしまいます。いろんな意見の人がいるから世界は広いのですね。
ではっ
-孟子]]>
蛇の鱗、蝉の翼。
http://ooedo.exblog.jp/1366914/
2004-11-27T19:04:46+09:00
2004-11-27T19:03:03+09:00
2004-11-27T19:03:03+09:00
Mao_ze_dong
一言
「蛇の鱗、蝉の翼。」
(へびのうろこ、せみのつばさ)
蛇は自分で動いていると思っていて、蛇の鱗も自分が動いていると思っている。セミは自分で飛んでいると思っているが、羽もまた自分が飛んでいると思っている。しかし、実のところ蛇は鱗無しでは動けないし、鱗も単体では動きようが無い。セミと羽もこれと同様なのです。
人もこれと同じ。自分で稼ぎ、食べていると思いきやどこかで他のものの力を借りているのかもしれません。つまり持ちつ持たれつなのです。「人」という字は支えあっているのです。
なにか、少し謙虚な気持ちで生活しなければならないような気がします。辞譲の心は礼の端ですしね。
では・・
-荘子]]>
愛重ければ反って仇となり、薄に極まりても翻って喜びを成すなり。
http://ooedo.exblog.jp/1346542/
2004-11-22T22:19:29+09:00
2004-11-22T22:17:32+09:00
2004-11-22T22:17:32+09:00
Mao_ze_dong
一言
「愛重ければ反って仇となり、薄に極まりても翻って喜びを成すなり。」
(あいおもければかえってあだとなり、はくにきわまりてもひるがえってよろこびをなすなり。)
意味:
愛情も重すぎるとかえって仇となることがあり、薄い愛情でも逆に喜ばれることがる。
これはよくありますね。ガソリンスタンドの店員のテンションの高さにはついていけなかったことや、掃除などしていてあまり気づかれないところを掃除して物凄く褒められた経験ありませんか?
愛情もタイミングが重要なのですね・・・
では
-菜根譚]]>
人皆人に忍びざるの心有り。
http://ooedo.exblog.jp/1329536/
2004-11-18T19:39:36+09:00
2004-11-18T19:37:39+09:00
2004-11-18T19:37:39+09:00
Mao_ze_dong
一言
「人皆人に忍びざるの心有り。」
(ひとみなひとにしのびざるのこころあり)
意味:
全ての人には忍びないという思いやりの心がある。
孟子の性善説を端的に表すこの言葉。
性善説とは、「人は皆うまれながらにして善である。だから、その善の気持ちを伸ばしていこうね。」という事で、孔子も似た考えです。それに相対するのが性悪説、これは荀子を始めとする法治主義の人がよく言っています「人は生まれながらにして悪だー」ということです。
そしてこの言葉。例えるならば、幼児が井戸に落ちそうになっているのを見たら誰でも可哀相と思います(よね)この可哀相が孟子の性善説を証明している!のです。
そして孟子はこう続けます。
「惻隠の心は仁の端なり。羞悪の心は義の端なり。辞譲の心は礼の端なり。是非の心は知の端なり。人に是の四端有り、四體の有るがごとし。」
(思いやりの心は仁の始まりである。自分の不善を恥じる心は義の始まりである。他人に譲つ心は礼の始まりである。善悪の見分けをする心は知の始まりである。人は皆この四つの心を、両手足を持つように持っている。)
この後「この四つが無い奴は人間じゃあないよ。」とも言っています。
もしかしたら僕にも善の気持ちがあるかも・・・・(弱気)
ではっ
-孟子]]>
秋風落葉正に悲しむに堪えたり。
http://ooedo.exblog.jp/1312666/
2004-11-14T22:08:12+09:00
2004-11-14T22:06:16+09:00
2004-11-14T22:06:16+09:00
Mao_ze_dong
未分類
(しゅうふうらくようまさにかなしむにたえたり)
意味:
秋風が吹いて葉が落ちて人を悲しませる。
木枯らしが吹いたということで初トラックバックです。ニュースと中国古典を絡ませるのはなかなか難しい・・。
秋は人を悲しくさせます。葉が落ちるというのもネガティブなイメージがありますし、寒い寒い冬が来るのは気が滅入ります。でもこの漢詩のように冬の後は麗らかな春が来るのさ~という気持ちでなんとかポジティブに。
さて読書の秋、中国名詩選。漢詩を更に深めたい人のために。これがお勧めです。
では]]>
晴空朗月、何れかの天かは翺翔すべからざらん。而も飛蛾独り夜燭に投ず。
http://ooedo.exblog.jp/1312477/
2004-11-14T21:32:16+09:00
2004-11-14T21:35:38+09:00
2004-11-14T21:31:09+09:00
Mao_ze_dong
一言
「晴空朗月、何れかの天かは翺翔すべからざらん。而も飛蛾独り夜燭に投ず」
(せいくうろうげつ、いずれかのてんかはこうしょうすべからざらん。しかもひがはひとりやしょくにとうず)
意味:
晴れた空、明るい月。どの空を飛んでも自由であろう。なのに蛾は蝋燭に身を投じる
所詮虫。悲しいものですね。しかし、我々も同じようなことをしているのではないでしょうか?飛行機事故とか。人間の生きることのできない世界は、いわゆる一般社会以外にもあるのでは?ということです。しかし社会以外での生き方も分からないのがまた人間。所詮人間。悲しいものですね。ってループしてるやん。
その、社会以外での生き方をしているのが仙人と呼ばれるのかもしれませんね。
昨日普段の40倍の来訪者がおりました。まさにこの言葉通り!(どうやら不具合が生じているようです)
では
-菜根譚]]>
邯鄲夢の枕
http://ooedo.exblog.jp/1308056/
2004-11-13T19:06:55+09:00
2004-11-13T19:05:47+09:00
2004-11-13T19:05:47+09:00
Mao_ze_dong
一言
「邯鄲夢の枕」
(かんたんまくらのゆめ)
意味:
邯鄲で見た夢である
盧生という人が邯鄲という都市で仙人の枕を借りて寝ました。盧生は自分が王になり栄華を極める夢を見た。しかし起きてみるとそれはご飯を炊く時間にもなるほどではありませんでした。
つまり、人間の栄枯盛衰など、夢のようなものなのです。
この栄枯盛衰は古典を読んでいるとよく出てきます、日本の古典文学である「平家物語」の冒頭にも
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
なんて、有名なのがあります。
老子は「その人を潰そうと思うのなら、その人を伸ばすだけ伸ばさせてみよ。」と言っています、驕れる者も久しからず。ですね。
この言葉は結構有名で、他にも「盧生の夢」「一炊の夢」などと言われたりします。
では・・]]>
利を見て而して、その真を忘れる。
http://ooedo.exblog.jp/1290037/
2004-11-09T16:01:55+09:00
2004-11-09T16:00:49+09:00
2004-11-09T16:00:49+09:00
Mao_ze_dong
一言
「利を見て而して、その真を忘れる。」
(りをみてしこうして、そのしんをわすれる)
意味:
利益に直面すると、本当の自分を見失う。
荘子が園で鳥を見かけました、その鳥はカマキリを狙っていました、そのカマキリはセミを狙っていました。荘子はなるほどこれこそ世の中だなぁ。と思った。とのことです。
麻雀などをしているときにも、よく自分の立場を見失います。配牌が良いとどうしても欲が出てしまうものです、ハイリスクハイリターンを狙っていても結局上手くいくことなどあまりないです。そういう欲が出てしまう場で冷静な判断を下せる人こそが大物なのでしょう。
欲望が飽和点に達したとき、人の注意力はもろくも飛散する。
では
-荘子]]>
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